梅の日うめのひ室町時代むろまちじだいの天文14年4月17日(新暦しんれき1545年6月6日)に、京都きょうと・賀茂かも神社じんじゃの例祭れいさいで、後奈良ごなら天皇てんのうが神事しんじをされた際さいに梅うめが献上けんじょうされたという故事こじにちなみ、制定せいていされました。この時とき、日本中にほんじゅうで晴天せいてんが続つづき、作物さくもつが育そだたずに、田植たうえもできない状況じょうきょうに陥おちいっていましたが、梅うめを奉納ほうのうして祈いのったところ、たちまち雷鳴らいめいとともに大雨おおあめが降ふりはじめ、五穀ごこく豊穣ほうじょうをもたらしたそうです。人々ひとびとはこの雨あめを「梅雨つゆ」と呼よび、梅うめに感謝かんしゃするとともに、災わざわいや疫病えきびょうを除のぞき、福ふくを招まねく梅うめを梅法師うめぼうしと呼よんで、贈おくり物ものにするようになったといわれています。後奈良天皇 - wikipedia6月6日の一覧へ戻る 6月 日月火水木金土 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
室町時代むろまちじだいの天文14年4月17日(新暦しんれき1545年6月6日)に、京都きょうと・賀茂かも神社じんじゃの例祭れいさいで、後奈良ごなら天皇てんのうが神事しんじをされた際さいに梅うめが献上けんじょうされたという故事こじにちなみ、制定せいていされました。この時とき、日本中にほんじゅうで晴天せいてんが続つづき、作物さくもつが育そだたずに、田植たうえもできない状況じょうきょうに陥おちいっていましたが、梅うめを奉納ほうのうして祈いのったところ、たちまち雷鳴らいめいとともに大雨おおあめが降ふりはじめ、五穀ごこく豊穣ほうじょうをもたらしたそうです。人々ひとびとはこの雨あめを「梅雨つゆ」と呼よび、梅うめに感謝かんしゃするとともに、災わざわいや疫病えきびょうを除のぞき、福ふくを招まねく梅うめを梅法師うめぼうしと呼よんで、贈おくり物ものにするようになったといわれています。後奈良天皇 - wikipedia6月6日の一覧へ戻る
室町時代の天文14年4月17日(新暦1545年6月6日)に、京都・賀茂神社の例祭で、後奈良天皇が神事をされた際に梅が献上されたという故事にちなみ、制定されました。
この時、日本中で晴天が続き、作物が育たずに、田植えもできない状況に陥っていましたが、梅を奉納して祈ったところ、たちまち雷鳴とともに大雨が降りはじめ、五穀豊穣をもたらしたそうです。人々はこの雨を「梅雨」と呼び、梅に感謝するとともに、災いや疫病を除き、福を招く梅を梅法師と呼んで、贈り物にするようになったといわれています。